宗和流十二代。本名鉱作、此松庵と号し、中川除町に住す。書画を能くし、画は中浜松香に師事して芳翠の号あり。その他、温斎、玉泉堂とも称し加賀友禅界の巨匠であった。十一代宗香歿後、同門の支持を得て宗香所持の茶室を自邸に移し、十二代を継いだ。晩年、手造りの茶器を能くし、また、特に能登方面の指導に勉め、流儀の発展に尽力した。昭和20年7月15日歿、享年67歳。
宗和流十二代。本名鉱作、此松庵と号し、中川除町に住す。書画を能くし、画は中浜松香に師事して芳翠の号あり。その他、温斎、玉泉堂とも称し加賀友禅界の巨匠であった。十一代宗香歿後、同門の支持を得て宗香所持の茶室を自邸に移し、十二代を継いだ。晩年、手造りの茶器を能くし、また、特に能登方面の指導に勉め、流儀の発展に尽力した。昭和20年7月15日歿、享年67歳。