宗和流七代。奥村主税の五男として生まれ、六代猪之助の歿後、金森家の養子となって七代を継ぐ。寛政11年、加賀前田家より千七百石を賜ったが、文化4年6月に故あって自害した。家族は一時奥村主税に引き取られ、金森家は断絶となった。
量之助の実子、吉左衛門信之は初め八十郎と言ったが、後に内匠と改めて父の遺知の内五百石を賜り、御馬廻に取り立てられて金森家を再興することとなった。
金森家が一時断絶となったため、宗和流八代の継承について門人が集まって協議したところ、世襲によらず直にその人物の才覚によって家元を継承するべきとの結論に至り、多賀宗乗を推して家元が継承された。